「田中角栄」考
田中眞紀子外務大臣の問題点



 威勢のいい政治家、内部改革には適任の政治家としては一定の価値を認める。
 しかし、根本的な政治家の資質と条件が欠落している。
 
 

 これがパトリオットであることを第一とする 政治家として致命的欠陥 である。
( 1 ) 戦後の日教組教育世代であり、東京裁判史観が脳内に刷り込まれ、疑いもしない前提となっている。 大東亜戦争をはじめ戦前の日本は間違ったことをしたと思い込んでる。 社民党の土井たか子の思想と基本的には同じである。 あるいは、民主党内の旧社会党系とも同じ。 いわゆる左翼リベラル風である。 マスコミでは久米宏や筑紫哲也などと同じ思想である。 鳩山由紀夫もこの範疇にはいる。
( 2 ) 大東亜戦争を 「侵略戦争」 と考えている人間である。
( 3 ) 韓国併合を悪と考えている人間である。 ゆえに、 「新しい歴史教科書をつくる会」 を批判したのである。 戦後の日教組教育世代が共通してもっているもの。 それが 「大東亜戦争侵略戦争論」 であり、 「韓国併合を悪」 と考えている思想である。 これを疑いもしない前提としている。
( 4 ) ゆえに、中国、韓国には謝罪一辺倒である。 すべからく日本が悪い、ゆえに謝罪するという思想である。 謝罪することがあたかも良心の証であるごとく振る舞う偽善者である。 自分を部外者か高見において、日本人を説教し謝罪させるという鼻持ちならない偽善をおこなう。

彼女が、中国政府の覇権主義、侵略主義、軍国主義、人権弾圧を容認することは、日本とアメリカなどのデモクラシーの根本思想に反する。 田中眞紀子の人権感覚が疑われる。

中国政府の独裁と田中角栄の独裁は独裁という点で共通している。 独裁者田中角栄の娘( 女帝 )である。 ゆえに、田中に圧殺された人間の悲劇を知っているはずだ。 個人としての娘であればゆるされるが、政治家としての今は、角栄独裁の片棒をかついだ犯罪行為を消すことはできない。

人権に無知、無関心なのは、角栄のクローンだからではないか。 秘めたる権力欲、権勢欲は強烈なものがあるはずだ。 角栄型政治の二の舞は断じて拒否する。 やらせてはならない。 角栄と対決した福田赳夫の弟子、小泉純一郎とは根本的な思想と哲学が根本的に違う。

田中眞紀子には、第一に哲学的精神が欠落している。 第二は基礎的教養( 哲学、思想、歴史 )を勉強をしていない。 これは田中角栄の大いなる影響だろうと推測できる。 田中角栄型の人間には、政治家としてもっとも大切であり基本となる基礎的教養や哲学的精神などは、はなから欠落している。 田中派の系譜をつぐ政治家をみれば一目瞭然ではないか。 竹下も、小渕も、橋本も、野中も、まして鈴木などというチンケな男にいたっては頭さえも空っぽである。

田中眞紀子と旧経世会の争いは近親憎悪のケンカにすぎない。 ヤクザの内輪もめ、内部抗争と同じである。 似ているゆえに憎いのである。 政治の上の思想や哲学の戦いではない。

田中角栄の娘であるゆえに、支那政府にべったりである。 これは大変危険である。 日本の国益とブッシュ政権の戦略に反し、自由主義世界の利益を害する可能性が大きい。 アーミテージ氏との会見を拒否したことは米国に同盟国としての疑問や頼り無さを印象づけてしまった。

田中眞紀子には思想と哲学がない。 彼女は、支那大陸が一党独裁の共産主義イデオロギーが支配する国家であるという根本的なことがまったく理解できていないということである。

自由と民主主義、基本的な人権を第一とする民主主義国家の日本やアメリカとは、相容れない独裁体制であるという根本的な命題がまったく分かっていない。

日米と支那は、国家を成立させている思想と哲学が根本的に異なっているということである。 この大前提に無知では、話しにならない。 外務大臣失格である。 そういう意味では、槙田邦彦などのチャイナスクールと田中眞紀子は同じ穴のむじなである。

結論
 田中眞紀子という人物は政治家というより内弁慶のアジテーターである。 久米宏の政治家版であると私は考えている。 内政では革新を起こすことができる。 しかし、外務大臣のような国家百年のことを考える立場に立つ人間としては失格であり、重大なる国益を害することになるだろう。