「田中角栄」考
田中眞紀子と外務省改革



 昨日( 平成14年2月20日 )の衆議院予算委員会参考人質問をテレビで見た。

 田中眞紀子はついに開き直って、小泉首相を真っ向から批判し、対決姿勢を鮮明にした。 自分の更迭は間違いだったと言い切った。 外務省改革をしようとしたら、スカートを踏まれていて、前に進めなかった、その踏んでいた者はどうやら小泉首相自身だったのではないか、とも言った。 自分には悪いところはまったくなく、全部相手が悪いという論法である。

 首相が田中眞紀子の外相としての資質にあいそをつかせて、事実上の外相の仕事から外したのは、正しい判断であった。 「スカートを踏んで」 意地悪をしたかのように言うのは、物事の本質をすりかえる悪質なレトリックである。

 田中眞紀子は本当に外務省改革をやろうとしていたのであろうか。 あのまま外相を続けていて、改革をすることができたであろうか。

 絶対に否と思う。 なぜなら、改革にはしっかりした見識と立派な人格を必要とするが、田中眞紀子にはそのどちらもない からである。

真の改革とは

 外務省に限らず、官僚体制の改革には、政治家の側の質の向上が大前提にならなければならない。 政治家と官僚の関係は、本来は政治家が大きな戦略を決め、それを実行したり助けるのが官僚である。 戦略を決めるさいの資料や、決まったあとの未来のシミュレーションを提供するのも官僚の仕事である。 また相手国との折衝や付き合いが円滑に行くように準備するのも官僚の仕事である。

 しかるに、今の政治家は、政策の立案からして官僚に頼っており、本末転倒している。 だからたとえば、対中国外交または対北朝鮮外交にしても、相手国のご機嫌を損ねないようにという担当外交官の 「配慮」 が先に立ち、独裁的共産国の本質に対する正しい認識と毅然たる態度を取ることができない。

 こういう本末転倒をまずなくすことこそが、外務省改革の大前提とならなければならない。 そのためには、外務担当の政治家がきちんとチームを組んで勉強し、外務官僚と同じくらいの専門家になる必要がある。 そして正しい認識と見識を持って、官僚の仕事ぶりを監視し、指導できるようでなければならない。 そういう体制を前提にして、はじめて官僚の怠慢や逸脱、背信・不正を批判し、真の改革を成し遂げることができるのである。

 真の改革は、パフォーマンスで 「改革、改革」 と叫んでも、絶対に成し遂げることはできない。 ましてや人格劣等な人間では、その欠陥をつかれて、官僚たちの反撃をしやすくするばかりである。

七度ななたび探して人を疑え

 田中眞紀子が政治家としていかに不適格かについては、以前に詳しく述べたので、ここでは繰り返さない。 ただ一つ、そこでは述べなかったことを付け加えておきたい。

 今回も出てきたが、 「言った、言わない」 とか 「招待状を届けた、届いていない」 という争いが、つねに田中真紀子にはついてまわる。 これは決して偶然ではないであろう。

 以前に話題になった、指輪問題がこの種の騒動の始まりであった。 宝石のついた指輪をコートのポケットに入れて、そのコートを紙袋に入れておいたら、指輪がなくなっていたと騒いだ。 あげくのはてに、責任者の職員に指輪を買いに走らせた。

 私などはすぐに 「その代金は誰が出したの?」 と聞きたくなったが、その問題をマスコミは詮索しなかったようである。

 結局その指輪は田中眞紀子の自宅から出てきて、一件落着となったらしい。

 だいたい、そんなに大切なものを、無造作にコートのポケットにいれて、それを紙袋にいれて、その辺に置いておくものであろうか。 普通少なくともハンドバッグの中に仕舞うくらいのことはするだろう。

 コートのポケットに入れたのなら、その辺に落ちたとか、入れ忘れたとか、いろいろなケースが考えられる。 日本には昔から 「七度探して人を疑え」 という諺がある。 田中眞紀子は親や周囲から、 「人を疑う前に、自分を顧みよ」 というような を受けてこなかったのであろうか。

 指輪紛失事件は、田中眞紀子の自己管理能力のなさを露呈しただけのことであり、こんな人物に一国の政治を託すことの危険を知らせてくれたのである。

 今回はまた、招待状が届いていないという、同様の騒ぎを演出してみせた。 マスコミや識者たちの意見は、 「次元の低い争い」 というもので統一されている。 しかしこの問題は、次元が低いどころか、じつに大きな大切な問題だと思う。

 招待状が届いていないという認識を持ったとき、どう行動するかという問題は、政治家として、というより人間としての人格に関わる重要な問題だからである。

 もし本当に招待状が田中眞紀子の手元に届いていなかったなら、まず問題にすべきは自分の秘書などのスタッフに落ち度がなかったかであり、それを調べるのが順序である。 調べても問題ないとなっても、万一部下に落ち度があって隠しているという可能性も皆無ではない。 だから慎重な人格の人ならば、そんなことは公表しないのが見識というものである。

 招待状を出した福田官房長官の側は、部下が直接相手の事務所を訪れて手渡したと言っている。 手渡した相手は 「眼鏡をしていて、中肉中背、髪を真ん中から分けていて、30歳代」 だと、きわめて具体的に証言している。 だいたい田中眞紀子にだけ招待状を出さないなどといケチな意地悪をするわけがないのである。

 田中眞紀子に都合の悪い証言によると、眞紀子は気に入らない書類などを破り捨てることもあるという。 福田長官は、田中眞紀子事務所に再三電話で出欠を確かめたところ、欠席という意思表示があったとも言っている。

 招待状を出しても返事がなければ、準備の都合もあるのだから、出欠を確かめるのは当然のことである。 電話で確認がきたということは、返事をしなかったということであり、その時点で 「御手数をおかけしました」 と挨拶するのが、常識というものである。

 その時点では出席する意志がなかったのに、あとになってから 「招待状がこなかった」 とは、わざわざ事を荒立てようとしているとしか思えない。 事務所の職員が、田中眞紀子の意志を無視して出欠の返事をするわけがないのである。 ということは、田中眞紀子は招待がきていることを知っていたことになる。 それとも田中眞紀子事務所は、本人の意思を確認しないで、勝手に断る慣習だとでも言うのであろうか。

 どう考えても、おかしいのは田中眞紀子の側である。

 もちろん、これだけではない。 外相としての公務の面で、数々の失策があったことは、すでに繰り返さない。

 それでも70パーセントの支持とは異常である

 これだけの疑問点があるのに、田中眞紀子の支持率は依然として70パーセント台の水準を維持しているらしい。

 予算委員会の田中眞紀子の 「首相自身が抵抗勢力になった」 という小泉批判に対して、ヤフーがインターネットを通じて投票を呼びかけたところ、田中眞紀子を支持する者が74パーセントを占めたそうである。

 恐ろしい数字である。 たしかにそこには政治の腐敗や、それに対する改革が進まない現状に対する不満が反映していることは理解できる。 しかしその不満を表わすのに、これだけ人格に問題のある者に期待が集まるところに、非常に危険な傾向が認められる

 国民の70パーセントもの者たちが、偽物を見抜く能力がないということを意味しているからである。 もし田中真紀子に有能な側近がついてボロを出させないようにしたら、そして的確な戦略戦術を授けるようになったら、ヒトラー政権の再現にならないと誰が保証できるか。 彼女はきわめて独裁的な本質を持っているのである。

 この危険を軽視してはならない。 ヒトラーは世界恐慌のさ中に台頭してきた。 人々の不満と感情的なうっぷんばらしを吸収して大きくなった。 こんな劣等な人格の者に70パーセントの支持率とは、じつに異常であり、危険な現象である。 田中眞紀子を最も熱烈に支持しているのは社民党であり、中国共産党である。

 心あるマスコミ関係者は、その危険に早く気づいて、眞紀子人気を煽ることを止め、正常な批判力を一刻も早く取り戻してほしいものである。