「田中角栄」考
田中眞紀子外相更迭の意味するもの
( 平成14年1月31日 )



 小泉首相はやっと田中外相を更迭した。 遅きに失したというより、大山鳴動鼠一匹、何もプラスが残らなかったと言うべきである。
 しかし、これからの日本の政治をよくしていくためには、今回の眞紀子現象をきちんと総括しておく必要がある。 以下、田中眞紀子をめぐる問題点を明らかにしたい。


1.眞紀子人気の本質

 田中眞紀子の人気の本質は 「うっぷんばらし」 にある。 つまり不平不満を持っている者たちの 「はけ口」 になっているところにある。 口汚く悪態をついて 「溜飲を下げさせる」 ことで人気を得ているところは、田嶋陽子 と似ている。 テレビの人気者ならいざ知らず、政治家になったとなると、問題は大きい。

 田中眞紀子の人気は、かつての青島幸男や横山ノックの知事当選と本質的に同じである。 投票の動機が政治やその他の不満から来ている。 たしかに政治への不満の中には、正当なものもあったろう。 しかし、その投票行動は、候補者の人格や能力を正しく見極めて投票するというのではなく、単なる 「うっぷんばらし」 の面が強かった。

 その結果は、青島幸男の場合は貴重な4年間を無為無策のうちに過ごすことになり、横山ノックの場合は破廉恥な形で辞任することになった。

 こういう 「うっぷんばらし」 という投票行動こそ、ファシズムを産み出す最も危険な精神構造である。 日本人は何度も煮え湯を飲まされているのに、依然としてこの行動様式を取っている点に、危険なものを感じさせられる。 とくにファシズム的傾向は経済不況によって加速させられる。 そういうときに感情的人気投票の感覚が政治を左右するのはきわめて危険である。

 田中眞紀子の場合も、うわっすべりした軽薄な 「人気」 が先行した結果、人格と能力の両面で欠陥をさらけ出すことになった。


2.田中眞紀子の人格的欠陥

 田中眞紀子には政治家としての人格に明白な欠陥が見られる。 人格批判はいけないという人もあろう。しかし、政治家の人格的欠陥は国家と国民に致命傷を与えかねない ので、はっきりと批判の対象にすべきである。

 田中眞紀子の政治家としての人格的欠陥は、
( 1 ) アメリカのアーミテージ米国務副長官との会談をキャンセルした、いわゆる 「ドタキャン」 事件に象徴されるような、 「わがまま」。 パキスタンは 「汚いから行きたくない」 と言ったとも伝えられた。
こんな礼儀を失した言動は、普通の政治家がとったとしても、また一つだけでも直ちに相手国からの抗議がきて、すぐに罷免の理由になりうる重大な失態である。 ましてや他国との友好を第一に考えなければならない外相の言動としては常軌を逸していると言わざるをえない。
その時点でアメリカの信任を失い、以後は 「レームダック」 にしかすぎなかった。 実質的には田中眞紀子をはずして外交がなされていたと言うべきだ。 「うっぷんばらし」 人気のなれの果てである。
( 2 ) 第二の欠陥は、政治や外交がチームワークであるということをまったく理解していないという点。 内閣の方針に反することを平気でぺらぺらとしゃべる。 しかも重要な公式の席で。 自分の人気取りとパフォーマンスしか考えていないらしい。 こういうことが一度でもあれば、ただちに罷免されるというくらいの厳しさがあってしかるべきである。
とくにひどかったのが、中国共産党の使いっ走りのような発言がめだったこと。 中国首脳との会談の席で、 「小泉首相は靖国神社に参拝すべきでない」 「首相に進言する」 とか、李登輝台湾前総統の訪日をやめさせるとか、アジア首脳との会談の席でアメリカの国防政策への批判を口にした。 また他国の機密事項をペラペラとしゃべるのも、あきれはてた軽薄さであった。 これらは相手国の我が国への内政干渉を誘発したり、同盟国への裏切りになりかねない、責任重大な逸脱である。
それよりも重大なのは、首相なり内閣の方針に反したことを、他国の首脳に対して言ってしまうということの重大さを、いっこうに意識していないという問題である。 これらは人格的には幼児か我が儘娘の域を脱していない。
これらは組織人として行動すべき政治家としての重大きわまる欠陥と言わざるをえない。 「落第」 を通りこして、国家にとっての 「危険分子」 と言うべきである。
他国を益し、自国の国益を損なう、重大な結果をもたらしかねない。 田中眞紀子が在任中に大きな損害をもたらさなかったのは、いつにアメリカが寛大だったことと、早い時期に実質的に 「降ろされた」 からにすぎない。


3.定見なき外務省 「改革」

 それでも、なお田中眞紀子の人気は衰えないという。 なぜか。 それは田中眞紀子が外務省改革の先頭をきっているという評価があるからである。

 ほんとうに田中眞紀子は外務省改革をやろうとしていたのだろうか。 やろうとしていたのなら、いったい何をどうしようとしていたのだろうか。 そのあたりが明確にならないままに、田中眞紀子は 「改革」 という正義の側だとされてはいないか。

 田中眞紀子は 「改革」 「改革」 とお題目は唱えていたけれども、どういう理念から、どこをどう改革しようとしていたのか、いっこうに明らかにはならなかった。

 しきりに人事権にこだわっていたが、本当に悪い人間を排除して、よい人間を優遇しようとしていたのか、自分の気に入らない人間を排除して、気に入った人間を優遇しようとしていたのか、どちらなのか、どうもあやしかった。

 何を基準に人事をしようとしていたのか、ついに分からずじまいである。 人事権の主張ばかりしていて、客観的で公正な基準を示さないのでは、人事権の乱用になりかねない。

 「外務省改革」 ということで田中眞紀子を支持する人々は、ただ外務省を悪者視しているようだが、まさか外務省が丸ごと悪いわけでもあるまい。 具体的にどこがどう悪いのかを示さないで、ただムード的に 「改革」 を叫ぶのは危険な徴候と言わなければならない。

 そもそも官僚と政治家の関係は、本来は政治家が役人をどこまで使いこなせるかという問題である。 役人はあくまでも 「左脳的エリート」 であり優秀な専門集団である。 たとえは悪いが 「優秀な機械」 ( ところどころ腐っていたり、無能な部分もあるが )であるから、使い方次第で有効にも妨害にもなりうる。

 外務省が腐っているというが、腐らせたのは政治家が悪いからである。 うまく使えなかっただけのこと。 官僚を役立たせるためには、政治家の方も、たいへんな勉強をし、相当な専門家になる必要がある。 でないと、ごまかされるか、傀儡にされてしまう。

 田中眞紀子のような素人がポッと入っていって、改革はおろか、専門家を使いこなすことができるわけがないのである。 田中眞紀子は、外務という仕事について、いったいどれだけの勉強をしてきたのであろうか。

 政治家と官僚の関係においては、政治家の側のしっかりとした定見と、日ごろの勉強が大前提である。

 それなくして、ただ 「改革」 「改革」 と叫んでいるだけでは、外務省ばかりが敵役にされて、肝心の政治家の責任は忘れさられてしまう。

 田中眞紀子は 「改革」 をしようとしている 「善玉」 で、外務省は 「悪玉」 だという、安易な色分けで田中眞紀子を支持するのは、あまりに安直な考えである。

 問題の根本は、政治と官僚の正しい関係を考えるところから出発しなければならない。 それを基準にして、改革を考えるのが、正しい順序というものである。


4.女性が政治家になると政治がよくなるか

 ところで、今回の眞紀子事件は、女性政治家についても考えさせてくれたという意味では、なかなか教訓的であった。

 ひところ、しきりに 「女性が政治家になると政治がよくなる」 と言う人たちがいた。 しかし女性の政治家が増えているが、いっこうに政治はよくならないばかりか、馬鹿なことばかり言ったりしたりする女性政治家が目立つのはどうしたことか。

 田中眞紀子をはじめ、口汚くののしることが特技の田嶋陽子、テロのときに 「ざまーみろって思っている人たちもいる」 と言った 原陽子、夫婦別姓に狂奔する女性政治家たち、自らも離婚し 「ニコニコ離婚講座」 を主宰して離婚を奨励してきたつぶらより子。 政治を悪くしているとしか思えない女性政治家がなんと多いことか。

 この者たちの共通の特徴は、みな多かれ少なかれ 「うっぷんばらし」 のはけ口になっているという点にある。 田嶋陽子などはその代表と言える。 「女」 「女」 と言っていれば一定の人気があるので、ろくに学問もしていなかった。 政治家になって、政治についてどんな勉強をしているのか。

 「女性が政治家になると政治がよくなる」 と言うが、その政治家になる 「女性」 とは、決して女性一般ではない。 政治家というのは激務であるから、普通に家庭をきりもりして、子供を育てている女性にはほとんど不可能なことである。 政治家になっている女性の中で、独身者や離婚者が占めている割合は一般の平均よりかなり多いのではないか。 フェミニストの女たちのあいだでは、自治体の議員や国会議員の職は 「有利な就職口」 と言われている。 離婚すると選挙に打って出る女性も少なくない。

 そういうことで、本当に女性全体の立場や、国民の代表としての立場で行動できるのであろうか。 見ているかぎりでは、彼女たちの多くは、一部の女性の利益しか代表していない。 「働く女性」 とか 「離婚した女性」 とか 「非嫡出子を産んだ女性」 の利害ばかりを代表しているとしか思えない女性政治家が多い。

 国会議員となったら、国全体のことを考えるということにならないと、彼女らが反対しているはずの族議員と同じことになってしまうだろう。

 もうそろそろ、女性だから選ぶとか、女性だから期待できるという選び方から卒業すべきである。 また国会議員の中に何パーセントの女性がいるかで、男女平等が進んでいるいないと評価する馬鹿馬鹿しい見方も卒業すべきだ。

 女性政治家を増やそうとすれば、子育てをしていなかったり、家庭を放棄した者ばかりに有利となり、本当に女性全体のことを考えている女性が政治家にはなれないという事態になってしまう。

 女性が政治家にならなくても、女性の問題を本当に理解し、それを代弁する男性政治家を選ぶ道もありうる。 女性の政治家の数で男女平等を測るという態度は弊害が大きい。

 田中眞紀子人気の一部は、女性の女性びいきという面もある。 女性だから女性にひいきするとか、うっぷんばらしに支持するというのは、政治のあり方としては、再考を要する のではないか。

 ともあれ、眞紀子人気はどこか異常である。 政治家を選ぶときに不満やうらみつらみのはけ口にするという行動様式は、民主主義の最も危険な一面である。 眞紀子人気は、そうした民主主義の恐ろしさを潜在的にはらんでいる。 ヒトラーが選ばれたのも民主的な選挙によってだったことを、われわれは決して忘れてはならない。





(※1) 支持率低下の意味するもの

 田中眞紀子外相更迭騒動によって、小泉内閣の支持率が低下していると言われる。 正確にどれほど低下したのか、またそれは短期的なものか長期的なものかは、まだ明かではない。 『読売新聞』 の調査によれば78パーセントから47パーセントにまで低下したそうで、かなりの低下はまぬがれぬようである。

 この騒動で小泉内閣または小泉氏に対する支持が低下するということが、私には理解できない。 小泉氏がまずかった点は田中眞紀子を外相にしたことにあり、それを辞めさせたのはむしろプラスと評価すべきである。

 外相更迭は、単に鈴木宗雄の圧力がどうとか、どっちが嘘をついていたのかという問題から結果したのではない。 それだけなら、田中眞紀子の方に辞任させられるほどの決定的な落ち度があったとは言えない。 むしろ一連の外相としての不適格さに、とうとう堪忍袋の緒が切れた結果としてなされたものである。 小泉氏が表向きはなんと言おうが、本質はそういうことである。

 たしかにタイミングは最悪であった。 あたかも国会審議をストップさせた 「ごたごた」 の責任を取らされたかのような形をとったため、田中眞紀子に同情が集まりやすい形になり、また事実小泉氏も表向きはそういう理由を述べた。 いっそ、今までさんざん出ていた、政府要人としての不適格性という理由を、はっきり表に出した方がよかったのではないか。

 いずれにしても、小泉氏の人気が落ち、田中眞紀子に同情が集まるという度合いは、日本国民がどのくらい賢明かを測るバロメーターになる。

 それによって、国民が現象の表面だけをみて判断しているのか、物事の本質を見通しているのかが分かる。

 この事件は小泉氏の人気が落ちるような本質のものではない。 たしかに彼には女性の本性を見抜く眼が欠けている。 それはお人好しの証拠だとも言える。 お人好しは個人としては愛すべき人柄ということになるし、政治家としても国民に愛されるキャラクターとしてプラスの面も持ちうる。 しかし 「人を用いる」 政治家としては致命傷になりかねない。 もし任命した者が不適格だと気がついたら、可及的速やかに正さなければならない。

 女の武器は涙だけではない。 すり寄ったり、猫なで声を出したり、味方のふりをしたりと、たくさんある( もっとも本当にすばらしい女性はこういうことはしないものだが )。

 女性の本性を見抜くのは容易ではない。 だから騙されたことは咎められない。 騙されたと気づいたときにどう行動するかで、違いが出てくる。

 小泉氏の誤りは、田中眞紀子を要職につけたことにあるよりは、それが間違いだと気づいたとき直ちに辞めさせなかったことにある。

 話を戻して、今回の事件でどのくらい支持率が下がるかで、どのくらい軽薄な支持者がいたかが分かる。 日本人がどの程度馬鹿か利口かが分かる。

 はっきり言って、ここで支持をやめる人間は馬鹿である。 馬鹿という言い方が不穏当だと言うなら、本当に改革をする気のない人間であると言おう。 改革か田中眞紀子か、どちらが大切なのか、分からない人間である。 田中眞紀子などどうでもよい。 真に改革をなしとげることの方がはるかに大切である。 そのためには、小泉内閣への支持率を減らしてはならない。

 『朝日新聞』 の社説( 2月2日 )は 「国民が離れ始めた」 という題で、支持率の大幅低下を予想している。 背後に 「田中眞紀子を更迭するからだ、それみたことか」 という気持ちがあるのではと、かんぐりたくなるような書き方である。

 外相が田中眞紀子から川口氏になったことで 「政権全体が軽くなった印象は否めない」 と書いてある。 私には田中真紀子がいる方が、いかにも軽薄で軽々しい内閣に見えていたが、印象というものは、誰をひいきにするかで、こうも違うものか。

 だいたい、内閣の方針と違うことを言ったら、今までの 『朝日新聞』 だったら 「閣内不一致」 などと書き立てただろうし、アメリカ政府の要人との会談をドタキャンしたら、ただちに辞職だと迫っていただろう。 なぜ田中眞紀子に対してだけは甘かったのか新聞の公正さというものは、どこに行ってしまったのか

 三面には 「更迭のツケ、改革窮地に」 と大きな見出しがつけられている。 まるで更迭したから悪いのだと言わんばかりである。

 こういう場合に、表面の騒動( 更迭劇 )のばかばかしさばかりを訴えるのが 『朝日新聞』 の常套手段だが、それをすればするほど、政治への不信感を必要以上に煽り立てるだけである。

 そうしておいて、支持率が低下すると族議員のまきかえしがあるのでは、と心配してみせる。 偽善的な社説と言うほかない。 もし本当に改革をしなければならないと考えているのなら、 「こんなことで内閣への支持をやめるな」 と訴える方がよほど首尾一貫している。

 表面的な現象に目を奪われないで、冷静に物事の本質を見極めるようにと訴えるのが、新聞の責任というものではないのか。

 同日の 『読売新聞』 の世論調査によれば、
 小泉内閣支持が46.9%( 前回は77.6% )と出た。
 外相更迭に 「納得できない」 人、66%。
 しかし、 「田中眞紀子が外相に適任だったか」 と聞けば、41%が 「そう思わない」 と答えている。
 女性の支持率の下落幅は34.7ポイント、男性は27.0ポイント。
 「改革実現、69%が疑問視」 …… だそうな。
 田中眞紀子がいなくなったから、改革ができなくなるだろうという意味か。 田中眞紀子がいる方が改革は進まなかっただろうに。 小泉支持を少なくするほど、改革はできにくくなるだろうに。

 『読売新聞』 の社説には、 「田中眞紀子が就任以来、国益を損なう言動を繰り返し、外相としての適格性が再三疑問視されてきたことを思えば、支持率が低下したからといって更迭が誤りだったということにはなるまい」 と書かれている。 このほうがよほどまともな見方である。

 更迭が正しいかどうかを、最近の 「言った」 「言わない」 の問題だけから評価するのは、問題の矮小化である。

 外相更迭に 「納得できない」 人、66%の多くは、最近の出来事だけを基準に見ているのではないか。 それには首相側の説明の下手さと、マスコミのミスリードが大きく左右しているように見える。

 一閣僚が不適任のために更迭されたというだけのことで、支持率が77.6パーセントから47パーセントに急落するのは、事態を冷静に客観的に見られない人々の不安定な人気投票が政治を左右することを意味している。 ここに、民主主義のもろさと危険がよく出ている。

 もっと安定した政権のあり方を考えないと、長期的な視点にたったよい政治は出てこないだろう。


(※2) 女の涙

 田中眞紀子は止めさせられる直前に、涙を見せて、 「どうして私ばかりがいじめられるの」 と言って、同情をさそった。

 それに対して小泉首相は 「涙は女の武器」 と言ったとか。 その首相の言葉が 「女性差別」 だと野党の議員たちが抗議したとか。 国会の予算委員会でも民主党の議員が質問に立った。

 女性閣僚たちに感想を求めたが、うまくユーモアでかわされ、からぶりに終わった。

 一連の経過は、すべてピントが外れている。

 >第一に、田中眞紀子が泣いたか泣かないかを問題にすること自体がおかしいのである。 政治家にとって、何を考え、何を言い、どう行動するかで評価されるべきであり、泣いたか泣かなかったかは、まったく無関係、問題にする方がおかしい のである。

 それなのに、首相に 感想を聞いた馬鹿な新聞記者 がいたらしい。 そんな質問は、ただの興味本位の愚かな質問である。 そんな質問には、答えないのが見識というものである。 「内容とは無関係です」 と答えるべきところである。

 ところが首相は 「涙は女の武器です」 と答えた。 小泉氏はユーモアのつもりか、皮肉をこめたつもりかもしれない。 あるいはホントのことを言い過ぎたのかもしれない。

 女性の涙は宝石のようだと言った人もいたが、しかし女性の涙には 「そら涙」 とか 「うそ泣き」 というものもある。 涙を武器として使う女性ほど、この手の演技を使う。

 男性と同様に、女性だって、公の場で涙を見せるのは、不適当である。 涙を武器として使ったとしたら、プロとは言えない。 首相の答えは、じつは 「公の場で女の武器を使うのは不適当だ」 ( または 「卑怯だ」 )という批判がこめられていた のではなかろうか。

 たしかに涙もろい人というのはいるから、出さないようにと思っても、不覚にも出てしまうこともあろう。 だから涙が出たかどうかには、重きを置かないのが、マスコミはじめ社会の作法というものである。 少なくとも、涙に意味を見出そうとしたり、とくに注目しようとするのは間違いであり、危険である。

 そう言えば、かつて同じような場面があったことに気づいた。 それは田嶋陽子の涙である。 田嶋陽子は小学校にいって女性差別について授業をした。 その様子はNHKで放映された。 授業の終わりに近く、田嶋陽子は 「自分も差別されたことがある」 と言って、泣いて見せた。

 そうしたら、マスコミや評論家( とくに女性 )の多くは、こぞってそれを褒めそやし、子供の教育にとってプラスだと意味づけしていた。

 恐ろしいことである。 感情に訴えるのは、手っ取り早いし、ある意味では効果的である。 しかし感情に訴えることの危険や弊害も当然考えられる。 理性的判断を狂わせる場合もある。 手放しで褒めるべきことではない。

 首相の 「涙は女性の武器」 発言に対して、例によって 「それは女性差別だ」 「女性蔑視だ」 と野党の女性議員が騒ぎだした。 これについては、あまりに馬鹿馬鹿しいので、論評しない。

 ただ、国会の議論の時間を、くだらないことで浪費しないでくれとだけ言っておく。


(※3) 支持率は低下したのか

 本日( 平成14年2月4日 )の 『産経新聞』 と 『朝日新聞』 は、内閣支持率についての 「本社世論調査」 を発表した。 それぞれ48%、49%という結果である。 どちらも期せずして 「急落」 という見出しを掲げた。

 たしかに数字だけを見れば、80%近くから50%に落ちたのだから、 「急落」 という表現も間違いではない。

 しかし私の率直な感想を言えば、 「支持率は充分に多いじゃないか」 「あれだけのゴタゴタがあっても、まだ半分も支持者がいるのか!」 という感じである。 歴代の中でも最高水準である。 何ヶ月もたって、半分の支持率というのは前代未聞である。

 そもそも0%という支持率が不自然であり、不健康であったのだ。 いわば 「バブル人気」 とでも言えるものだった。 50%でもまだ多すぎるくらいである。 改革を進めるのに、充分な支持率である。

 支持率は決して低下していない。 田中眞紀子人気というバブルがはじけただけである。 バブルがはじけても、30%しか下がらなかったのは、たいしたものである。

 この残った60%の支持は、筋金入りの支持である。 改革を本当に進めてほしいという支持である。 去っていった軽薄な支持や、本当は反体制的で野党的であった人たちの支持など、いざとなったら頼りにならない。

 小泉首相は、この本物の支持、しかし厳しい支持者を頼りにして、断固として正しい改革に邁進してもらいたい。 それしか支持率を維持する道はないであろう。

 それにしても、 「外相更迭7割が批判的」 というのは、今までの小泉首相の甘い態度が相当に悪影響を与えていると思われる。 テレビのワイドショーなどが繰り返し眞紀子人気を煽ってきたが、それに対しても、小泉サイドはニヤニヤとのっかる態度で、なんら批判をしなかった。 田中外相の逸脱行為にも、きちんと批判できなかった。 今度の更迭の理由も、きちんと田中批判をしなかった。 これこそ、外相更迭によって打撃を受けた根本的原因である。

 「外相更迭7割が批判的」 といっても、これが即眞紀子支持という意味ではない。 更迭の仕方に対する批判も多く含まれている。 その証拠に、 「それでも内閣支持」 が50%もいる。 田中眞紀子は威張ることではないし、小泉氏は萎縮することはない。

 もう小泉首相は眞紀子人気に媚びる必要はなくなった。 むしろ田中眞紀子をはっきりと批判し、メディア対策も含めて、眞紀子人気と対決するくらいの覚悟を持つべきである。 そうでないと、本物の改革はできないのではないか。

 はっきり言って、私は眞紀子を切ったが故に、小泉氏への支持を強めた。 そういう人間も少なくないと思うが、これは調査数字には表れていない。

 軽薄な支持がなくなったこれからが正念場である。

 もう一度言うが、これだけゴタゴタがあっても、50%も支持があるというのは、すごいことである。 この本物の支持をバックに、ヘラヘラしないで、断固改革に向けて進んでいってほしい。

 ただし、夫婦別姓だけはしてはならない。 少なくとも、政府提案をしてはならない。 支持者の学者の中には 「夫婦別姓も構造改革だ」 と馬鹿なことを言う者もいるが、政府提案をしたら、保守派の中の最も健全な部分を敵にまわすことになるだろう。