田中角栄のマスコミ支配




 ジャーナリストの坂本衛が雑誌 『放送批評』 の1994年4月~5月号に寄稿した文章に、日本のメディアがいかに田中角栄に毒されていたか、経営者だけではなく、田中番記者全員が角栄の恫喝にいとも簡単に屈した、と言う様子が生々しく描かれている。

 この田中支配を破ったのが今では古典となった文藝春秋1974年11月号( 10月10日発売 )の立花隆 「田中角栄研究」 と児玉隆也 「寂しき越山会の女王」 だった。 田中角栄は指摘された金の流れを全く説明できずに、1972年7月7日に発足した田中内閣は1974年11月26日に瓦解した。
 児玉隆也は1974年12月16日国立癌センターに入院、肺癌と診断され、5カ月後の1975年5月22日、38歳でこの世を去った。

 … なぜ田中角栄か? と言う事に関しては、立花・児玉論文の発表される2ヶ月前の9月号に、石原慎太郎が 『君、国売り給う事なかれ』 と言う角栄批判文を寄稿した が、反響が大きかったため、編集長が第2弾を考えていたのだろうと思う。

~ 目次 ~      


(1)放送事件史 「田中角栄」 
(2)角栄と記者の 「軽井沢の約束」 
(3)大量免許を実現した 「大臣決定」 
(4)角栄流の一本化調整 
(5)テレビと新聞に恩を売る 
(6)「大蔵大臣アワー」 で番組私物化 
(7)~メディア支配構造の完成~