田中角栄のマスコミ支配
角栄流の一本化調整




 大臣の裁量はここまでで、あとは官僚任せというなら、後に番記者に対して 「郵政大臣の時から、俺は ……」 と田中が恫喝することもなかっただろう。 だが、田中のやり方は違っていた。 再び 「回顧録」 を引こう。

  「土曜と日曜の二日間に開局申請者全部を郵政本省大臣室に呼び出すように指示しておいたので、全国各地からえらい人がいっぱい集まった。 全国文化人大会のような観があった。 各申請者には15分か20分ずつ折衝に当たった。

 『申請者はたくさんおられるが、みなさん一緒になって新会社をつくって欲しい。 新会社の代表者は …… 申請代表の某氏とする。 A申請人の持ち株は―%、B申請人は―%、C申請人は―%とする。 AとBからは代表権を持つ取締役各1名、CとDは取締役各1名、E代表は監査役1名』 という形式で懇談というより郵政大臣案の申し渡しである」

 本人の回顧録だから、信用しにくい点もある。 これではたった2日ですべてが済んでしまったようにも受け取れる。 実際には、こういう日が何日も、何週間も続いたようだ。

 だが、懇談よりも大臣案申し渡しというのはその通りだった。 田中は陳情を受ける際、イエス( 実現可 )なら赤ペンで、ノー( 不可能 )なら青ペンでメモしたという。 このときも、どの会社とどの会社を合併させ、持ち株比率はいくらずつで、取締役構成はどうと、赤と青の鉛筆を使って自ら書き込み、処理していったのである。

 放送局の免許が以上のような手続きをへて認可に至るというのは、非常におかしい。 郵政大臣の恣意的な裁量 …… 勝手な判断によって免許が下されているからだ。 これでは、仮に大臣がある企業から特別な献金( 別な言葉でいえば賄賂 )を受け、その企業に有利なように取り計らっても、誰にも文句がいえないではないか。 しかも、 「言論報道機関」 である放送局の経営の根幹に至る問題にまで、子細に介入している。

 東京第六局( 現メトロポリタンテレビ、MXTV )ができるというとき、郵政省放送行政局の局長が暴走し、新局の出資比率や役員構成、番組構成に口を出して批判されたことは記憶に新しい。 だが、田中の時代は大臣自らがおおっぴらに、社長はA社から出せ、B社の持ち株は何%だと一本化調整をやっていたのだ。 こんな風にしてできあがった放送局が、たとえば放送法にいう 「政治的公平」 を貫けると思うほうがどうかしている、とすら思う。

 だが、回顧録を読めばわかるように、田中はこれを自分の手柄、自慢話として書いているのである。 そして、申請者たちも、そういうものなのだとありがたく納得して、田中の裁量を受け入れた。

 なぜ申請者たちが納得したかといえば、第1に、田中が無理やりにでも一本化しなければ大量免許は下りないからである。 第2に、強引な申し渡しに見える田中角栄の調整は、 「実は誰もが恩を感じるような配慮がなされている」 ( 立命館大学教授・松田浩 )からである。 つまり、それは 「利害調整」 という名の 「利益誘導」 だった。

 田中角栄は、若いころはもちろん闇将軍となってからも、日に100件、およそ300人の陳情をさばいていたという。 陳情について田中はある新聞でこう語っている。

  「…… 必ず返事を出すんだ。 結果が相手の希望通りでなくても 『聞いてくれたんだ』 となる。 大切なことだよ」

 角栄は、各社の望みをよく聞き、その実現に努めた。 全員の希望通りにならなくても、ここはA社に泣いてもらい、B社にも我慢してもらい …… ときて、最後のE社を決して切り捨てることがない。 「羊羮ようかんをちょんちょんと切って、いちばん小さい子に、いちばんでっかい羊羮をあげる。 これが自由主義経済」 ( 田中角栄 )だからだ。

 こうしてA社からE社まで、誰もが角栄大臣のお陰で放送局の免許がもらえたと思う。 田中の生き方の基本で、ギブ&テイクのギブをまず与えるのである。

 100万円の金策を頼まれたとき、田中は黙って300万円を渡し、 「( 1 )100万で借金を返せ、( 2 )100万で家族や従業員にうまいものを食わせよ、( 3 )100万は貯金しておけ、以上返却は一切無用」 とのメモを入れたという。 こうされれば、誰でも角栄のことを一生忘れまい。 300万円を党の金庫から取ろうが、土地転がしで稼ごうが、企業から調達しようが関係ない。

 免許も同じで、それは大臣の所有物でも何でもなく国民の財産なのだが、もらった人は角栄のことを一生忘れないというわけだ。