田中角栄のマスコミ支配
「大蔵大臣アワー」 で番組私物化




 田中角栄は、1962年7月から1965年まで、第2次池田内閣と第1次佐藤内閣において大蔵大臣を務めた。 オリンピックが開かれ、新幹線や名神高速が開通するなど、日本の高度成長が本格化した時代である。

 大蔵大臣だった田中角栄と放送の関係でまず思い出されるのは 「大蔵大臣アワー」。 1965年2月18日から日本テレビで始まった番組( 毎週木曜夜11時から30分 )で、タイトルがスバリ示しているように、レギュラーは田中角栄その人であった。

 これは政府広報番組ではなく、宇部興産、八幡製鉄、富士製鉄というスポンサーがついた番組で、局のねらいは 「政治と台所を結びつける」 ことにあったらしい。 だが、自民党や角栄にとってみれば、絶好のPR番組。 さすがに国会でも問題となり、半年分のスポンサーが決まっていたところを13回で打ち切りとなった。

 なお、同番組は田中角栄の地元、新潟放送から毎週木曜6時と金曜午後の2回にわたって放映されていた。 こちらはスポンサーなし。 これは地元放送局による、田中角栄の、田中角栄のための番組であった。

 椿発言の28年も前に、 「政治とテレビ」 の問題は存在していたのである。 しかも当時の郵政省は、 「法的には問題ない」 「政治的公平は編集全体を貫いて考えられるべきだ」 ( この番組だけを取り上げて公平でないとはいえないとの意味 )と、日本テレビや政府側の意向に沿った見解を打ち出している。

 こんなことが平然と行われた優雅な時代であったともいえる。 しかし、その主人公が田中角栄だったことは単なる偶然ではない。 それは、 「田中角栄によるマスコミ支配」 を象徴する事件のひとつであった。