田中角栄入門
ロッキード謀略説の検証



 評論家の田原総一郎は 「アメリカの虎の尾を踏んだ田中角栄」 ( 「中央公論1976年7月号 )の中で、ロッキード事件は田中角栄を失権させるためにアメリカがしくんだ謀略だと書いている。 田中真紀子をはじめ、多くの人が田原のこの論文を読んで、謀略説を信じている。 しかし、立花隆は 「田中真紀子研究」 の中で、田原の論文を 「内容的には噴飯もの」 と一蹴している。

 謀略説の根拠は、チャーチ委員会に届けられたロッキード関係の内部資料が 「誤配」 によるものだというが、そんな馬鹿な話はなくて、これは何者かが意図的に仕組んだに違いないということだった。 ところが、実際は資料は誤配されたわけではなく、委員会が正規の手続きでロッキード社から入手したものだという。 だから、そもそも謀略説の前提が成り立たない。

 どうしてこうした事実誤認がまかりとおったのだろう。 それは最初アメリカの新聞の第一報に 「誤配」 と書かれたためらしい。 新聞社はこれが間違いだと知って、数日後には小さな訂正記事を出したが、日本の新聞ではこれを報じなかったものが多く、そのまま 「誤配」 が事実としてひとり歩きしてしまった。 立花隆は、 「日本では今でも郵便物誤配説を唱える人が多くて困ってしまいます」 と書いている。 立花隆の文章を引用しよう。
《 日本人はロッキード事件は、田中角栄事件だと思っているけど、全くそうではありません。 あの事件は世界数カ国にまたがる、とてつもない広がりをもった前代未聞の航空機商戦の汚職疑惑なわけです。 国はイタリア、フランス、ドイツ、オランダ、スペイン、スウェーデン、インドネシア、フイリピン、トルコ、イラン、メキシコ、コロンビア、ナイジェリア、サウジアラビアなどにまたがり、ひっかかった人間の中にはイタリアのアンドレオッチ元首相、オランダのユリアナ王女の夫君、ベルンハルト殿下、ドイツのシュトラウス元国防相、スエーデンの空軍司令官といった人まで含まれています。 角栄の資源外交をつぶすために、それだけスケールの大きな事件を謀略として起こすなど不可能なことはあの事件をグローバルにとらえる目を持っている人には疑問の余地なくわかることです 》
 謀略説ではその中心人物としてキッシンジャーを持ち出すが、実はキッシンジャーは日本への資料提供に反対していたのだという。 証拠として、当時国務長官だった彼がレビ司法長官にあてた文書がそれで、そこには 「高官名を控えられたし」 とちゃんと書いてある。 つまり、キッシンジャー謀略説は完全なガセネタだったわけだ。 それではそのガセネタの出所はだれかというと、通産省の役人から角栄の秘書官になった小長啓一らしい。
《 角栄の資源外交というのは、実際のところ彼が中心になってやったもので、それが角栄がつぶれるとともにしぼんでしまったので、口惜しかったのでしょう。 どこかでああいう妄想をしゃべりまくったら、それ田原総一郎の耳に入って、田原がそれを針小棒大にかきまくったら、それを信じる人がたくさんでてきたということです 》
( 「田中真紀子研究」 立花隆 )
 田原総一郎の 「アメリカの虎の尾を踏んだ角栄」 のゲラは事前に中央公論から小長啓一のもとに回ってきた。 小長はこれは書きすぎで、 「手を入れないといかんかな」 と思ったが、田中角栄が 「大筋いいんじゃないか」 ということで、出版されたという。 このことを小長自身が 「発掘田中角栄」 ( 新潟日報 )のなかに書いている。

 田中はその後、ゲラを読んだことはおくびにも出さず、はじめて読んだふりをして、この本に書かれたアメリカ謀略説を自ら触れまわったという。 こういうところもまた、いかにも角栄らしい。 それにしても評論家の言うことも、政治家や役人同様、あんまりあてにならないということがよくわかる。

 何故そうなるのかというと、彼らにオピニオンリーダーとしての自覚や責任感がない上に、知性が粗雑だからである。 したがって、不利な状況に置かれても、あくまで自説に固執して、自分の誤りを認めようとしない。 視野が狭く、客観精神に乏しい日本のジャーナリズムや報道番組では、人気取りのための我田引水と、その場しのぎの言い逃ればかりが横行している。 そうした中で、立花隆の文章には、ひときは良質で誠実な知性が感じられる。